私はやっぱり絵本画家でいい

MORITORATION_Vol.6【中編】

私はやっぱり絵本画家でいい

黒井健 Kuroi Ken絵本画家

具象のようで、微妙に具象じゃない

もりと:今回のインタビューに備えて黒井さんの絵本を見直したんですが、黒井さんって、結構雰囲気で描く人だなって改めて思いました。『ころわん』(間所ひさこ/作 黒井健/絵 ひさかたチャイルド)でいうと、例えばサッカーボールとか、たんぽぽの表現とかも意外とそうですよね。

黒井:雰囲気って言葉がいいけど、アバウトだってことでしょ(笑)。重要じゃないって思ってるんだろうね。意識してそのように選択はしてないけど、気にならないんですよね。

もりと:必要なものと不要なもののジャッジが的確だなと思いました。そこがうまいんですよ。あと、意外と白が多い。

黒井:そう、コンセプトは白。一番最初に「ころわん」を依頼されたときに、すごく忙しいタイミングだったの。幼稚園配本の月刊誌だから締切はのばせず、ギリギリになって、「よし、背景は描かない。残された時間はすべて、ころわんに費やす」と決めて。

『ころわん ちょろわん』より
『ころわん』シリーズ

もりと:ほかにもオリジナルで描いている風景のシリーズなんて、雰囲気の真骨頂ですよね。風景をよく描かれているのって、やっぱり新潟の生活が影響してるんですか。

黒井:新潟も影響してるとは思うんだけど、田んぼの景色とか、いまだに新幹線から写真撮ってるからね。「ほう」とか「ああ」など心が動く、それが風景なんだよね。「本当にこんな風だったんだよ」って、写真を見せるよりも、もっと「ワーッ」ていう感じを出したいわけ。具象であって微妙に具象じゃないというかね。

もりと:確かに、写真で見るより黒井さんの絵の方が本物の風景な気がします。

黒井さんのカレンダーより

黒井:風景の絵が変わりはじめたのは、1988年に出版した作品集『ミシシッピ』(黒井健/絵・文 T・ラニング/文 偕成社)からだね。風景に、温度や季節の風を表現しようと思いはじめたの。『ごんぎつね』を描き終えてすぐ、ミシシッピに実際に行きました。カヌーなんてしたことないし、キャンプも嫌いなんだよ。でも、ミシシッピを一カ月かけてカヌーで下る旅に誘われて、こんなことは二度とないだろうと思って。
自分は穏やかそうに見えて、ちょっと激しいところがあるんだよ。だって、あてもないのに東京に出てくるとかだって、どうかしてるよね(笑)。でも、今思ってもすごい旅だったな。これより前にも風景は描いていたけど、ミシシッピを境に、さびしさや暗さが絵に入りはじめたんだよね。きっと旅の重さを感じたんだろうね、「もう帰りたいよ」って。

『ミシシッピ』の表紙
『ミシシッピ』の本文

気持ちがふっと、絵にフィットする

もりと:僕は、居酒屋の看板の絵が好きで、あれも風景の絵だなと。僕、ずっと関東近郊に住んでいるので、あの居酒屋のぽっとした灯りの方が自分には親しみやすい。見慣れた景色であり、共感する部分が強いなと思ってて。

黒井:ふわっとするところがあるんだろうね、もりと君があの絵を見ると。お酒を飲みに行きたくなるとか、そういうところで泣いていたことがあるとか(笑)。

もりと:黒井さんの絵って雰囲気で描かれているからこそ、見る側の経験値によって、すごく楽しく見られる人もいれば、感じない人もいるというか。僕は絵って感覚だけでなく、やっぱり絵を見る力がないと楽しめない「遊び」だなと思ってて。だから居酒屋の絵は僕にとって、いろんなことを思い出させてくれるんです。

黒井:それが、音楽や絵の鑑賞の中心だと思う。気持ちが何かふっとフィットするっていうのかな。

もりとが好きな居酒屋の絵

文と絵でつくるアンサンブル

もりと:そういえば、黒井さんの肩描きって「絵本画家」ですよね。「文」の作者と「絵」の画家がどっちもいる場合、絵が強すぎると文章が入ってこなくて、その画家の作品みたいに見えることがありますよね。でも黒井さんが描く本って、絵がそこまで前に出なくて、文章を書く人の個性も一緒に出ている。文と絵のバランスがちょうどよくて、とても読みやすい。

黒井:そこまで言われると、恐縮です。

もりと:けど、「絵本画家」ってなんだろう?「絵本作家」じゃないんだなって最初思って。

黒井:それはシンガーソングライターと、歌手の違い。

もりと:ですよね。だから黒井さんはもう職人だなと思って、そういう別の職業だなって。

黒井:文と絵がともにあるということは、それでアンサンブルを、和音をつくっていくような仕事だと思ってる。この前も、ある学校で授業をした後の感想でね、「今まで絵本っていうのは、文章の通りに絵を描くものだと思ってました」と言われて、驚いてさ。文章の通りになんて描けるもんか、と思ったの。
イラストレーションに、そういうジャンルはあるよ。取扱説明書とかね。でも、絵と文はそうじゃない。ピアノとバイオリンが、同じ旋律を同じように演奏してたら、きれいなメロディーは生まれないでしょう。主旋律はピアノがやってます。そのまわりをいくつかの楽器が取り囲んではじめて、1つの雰囲気が生まれてくるんだよね。それが絵の役割だと思ってるよ。

もりと:主旋律は、文章ですか?

黒井:主旋律はそうですよね。それは尊重するけど、文章の通りには描かないけどね。

これまで担当された絵本の一部

描いているのは「読書感想絵」

黒井:昔ね、あるデザイナーが中心になって、童謡の全集何部作かをつくったことがあって。描き手で絵本関係の人は私含めて数人で、大抵は売れっ子イラストレーター。で、イラストレーターの描いた絵は、普段のその人の絵のままなのよ。詞のほんの一部を絵にしているけど、読み込んでないから。そうすると詞は見えてこない。だけど、絵本関係の数人は、ちゃんと童謡のストーリーがそこに流れている。それに驚いたのね。そのときに「私はやっぱり絵本画家でいい」と思ったことはある。

もりと:そう。イラストレーターにも絵本画家と同じようなことが言えるかなって最初は僕も思ったんですよ。だけど、イラストレーターはやっぱりそこに書いてあるものしか描けないなと。
さっき、「主旋律のまわりの話」と、「文章の通りには描かないけどね」という言葉がありましたが、絵本ってその画家のフィルターを通した絵がそこにあって、それを読者は見てみたいし、楽しんでいるんだと思いました。

黒井:シーンとか構図にその人自身が出てくるんだよね。そう言ってくれるのはとてもうれしいけど、私は別に控えめにしてるわけじゃないんだ。元々そんなにきつい絵じゃないからかもしれないけど、自分はその文章を読んでこういう風に感じましたってことを、絵でちゃんと表現しているよ。要するに、「読書感想絵」だよね。

もりと:そういう感じ、すごい出てると思います。

黒井:でもその読書感想絵にするためには、感受性と読解力が必要になってくる。それには、机上の作業だけでは済まない。どうすればいいかっていうと、「普段の毎日をちゃんと暮らすこと」だと思うんですよね。人とちゃんと付き合うこと。

もりと:だからなのか。最近出ている黒井さんの絵本たちは、やっぱりちゃんとその時代にチューニングされた絵になってるんです。色彩とかタッチとか今っぽいんですよ。

黒井:いや、時代に合わないからやめたつもりなんだけど(笑)。

もりと:いや、ベテランじゃなくても、タッチって固まってくると思うんですよ。僕らもこういうタッチ、こういうスタイルってなりながらも描いているから、ベテランになってくるとなおさら固まっちゃうと思うんですね。だけど、黒井さんって都度都度違う。
新装版の『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ/作 黒井健/絵 ポプラ社)も、またタイプが違いますよね。

左が黒井さん、右が北田さんの『車のいろは空のいろ』

頑張りすぎずに、挑戦してみた

黒井:『車のいろは空のいろ』は北田卓史さん(1921-1992)のものだと思ってるから、新装版は「嫌です」って最初断ったんだよ。でも、「新しい4巻目はもう北田さんには頼めないから」と言われて。北田さんはものすごい機械好きだから、到底かなわない。この人物の頭でっかちなバランスの不思議さも、強烈だからね。北田さんの印象が強く残ってるから、ダメだよって言ったんだけど。

もりと:そんな裏話があったんですね。僕は北田さんの絵で大きくなりましたが、これからの子どもたちは黒井さんの絵で育つんでしょうね。ちなみに、どういったきっかけで引き受けたんですか?

黒井:これだけみんなに刷り込まれた本をリメイクするっていうのは、その遺族に行くはずだった印税も取ってしまうことだから、とても気にするんだよね。このお話は北田さんにとっても、ある意味では代表作とも言える特別な本じゃないのかな。だからあんまりそういうことをしたくなくて。そしたら編集の方が「北田さんの絵の版は、改めて“特装版”としてつくります」って言われたので、それで引き受けたんです。

もりと:絵だけの問題ではなかったんですね。スケールが違いますね。

黒井:あと、あまんさんのお話が大好きなんだ。あの人の柔らかさが。絵本で20冊近く一緒に描いてるんじゃないかな。だから今回全4冊で大変だったけど、あまんさんに励まされながら、とても自然に描いたんだよ。頑張りすぎないっていうか、あまり工夫をしすぎないように。

あまんきみこさんとの絵本

もりと:ちなみにこれ、北田さんの版と見くらべると、違うシーンを描かれてたりするじゃないですか。

黒井:事前に北田さんのは見てないんだ。見たら影響されるでしょう。アンデルセンも、『ごん』も、『手ぶくろ』も、みんなそれより前に出ていた本はあったけど、一切見ない。でないと自分の発想ができない。

もりと:ちょっとジャンルが変わるんですけど、僕パッケージの仕事をやっていって、憧れていた商品のパッケージを担当することになると、やっぱりすごくうれしいんです。でも大体5年ぐらいのサイクルで、また別のパッケージに変わって、僕らは役目を終えるんですよ。その商品がより売れるための方法として必要なことなのですが、複雑な気持ちによくなります。

黒井:担当者の前向きな姿勢があるからね。前任者のものを自分のものにしたいっていう思いがあるんだよ。前のものがよほど評価高くない限りは変えるっていう。これはもう、社会の新陳代謝でしょうね。絵本もそうだと思ってるから。学研に入ったときに、すぐ放り込まれたのが資料室だった。過去の『よいこのくに』を、全部読んでおいてと。全部読んだらよくわかったのは、大雑把に言うと10年前後で絵本の描き手が変わっていて、奥付を見ると、編集長が変わっている。

もりと:僕らのパッケージのときも、やっぱり担当者が変わってきますね。

黒井:自分でやりたいのよ。否定するわけじゃないけど、変化をさせたい、自分がやったっていうね、やりがいを手に入れたい。

もりと:そうなんですよ。ただね、過去と未来の間にいるというか。さっき黒井さんのお話にあった10年ごとっていうのも、きっとみんな代々そうやってつなげてっていうか、そういう役割なのかなって最近は思うようにしてるんだけど、やっぱり自分のじゃなくなっちゃうと、なんか悲しいなって気持ちはありますね。