もりといずみ(以下もりと):お久しぶりです。これ息子さんが描いた絵ですか? ちきさんの影響をすごく感じますね。
きくちちき(以下きくち):僕が使ってる画材で描いたから、っていうのもあるかな? でも、「僕が描きました」って言っても、「似てますね」って言われちゃいそうなくらい上手ですよね。
もりと:忙しい時は描いてもらったら?(笑)。
きくち:(笑)。集中力なくてすぐ嫌になって、泣き出すんですよ。僕から見たらすごく上手なのに、「やだー」って。自分なりの何かがあるみたい。
もりと:いま何歳だっけ?
きくち:5歳です。
もりと:小さい頃からお父さんを見てるから、理想が高いんだろうな。筆を使うこと自体、子どもの頃って上手にできないじゃないですか。だからビックリしましたよ。
子どもの頃
もりと:さてこの流れで、まずは子どもの頃の話を聞いていいですか? ほかのインタビューでも見たんだけど、この対談でちきさんのことを初めて知る方もいるかもしれないから……。小学生の頃に『北斗の拳』の絵を描いてたって話、あの話から聞きたいな。
きくち:大丈夫ですよ。友だちの間では『ドラゴンボール』が流行ってて、僕も大好きだったんだけど、どちらかといえば『北斗の拳』が好きで。みんなが『ドラゴンボール』を描いてるなか、1人で『北斗の拳』を描いてました。小6くらいまでずっと(笑)。
もりと:でも、こっそりピカソの絵を模写したりもしてたんですよね。
きくち:それは友だちに見せたら引かれると思ってたので、こそこそと……。両親にも見せてなかった気がします。
もりと:どこかで客観的になってたってことなのかな? これは見られたらやばいやつだ、みたいな。
きくち:どういう感覚だったんだろう。でも、ただ人に見せるのが恥ずかしかっただけだと思う。ピカソだけじゃなくて、モネとかゴッホとかも描いてたし……。
もりと:ピカソを膨らまそうとしてるわけじゃないんだけど、「これは人に見せない方がいいな」って絵を隠したりするって変わった小学生だなって思って。
きくち:基本的に人に見せたいって願望はあんまりなくて、漫画クラブに所属してたから見せてただけだと思う。『北斗の拳』もピカソも誰かに見せたいっていうより、描くのが楽しかっただけじゃないかな。
もりと:なるほど。ちなみに、ご両親はどういう仕事をされていたんですか?
きくち:父はサラリーマンで、その時母は専業主婦だったかな。あと兄がいて、いまは病院のコンピューター系の……詳しくは知らないんだけど、そういう仕事をしています。
もりと:ちきさんとは全然違うんですね。
きくち:兄は子どもの頃からゲームが好きで、そのままコンピューターの学校に行ったんですよ。僕はゲームに興味がなかったし、どちらかというと機械は苦手だった。その頃から絵とか工作とか、手を動かして何かするのが好きでしたね。
もりと:ちきさんを見てるから、息子さんが工作や絵を描くのを好きになるのは自然な流れだと思うんです。でも、ちきさんは全然入り口が違いますね。
きくち:そうですね。でも、うちの父は機械をいじったり、いろいろと作るのが好きなので、そういう影響かなとも思います。僕が大人になってからですけど、棚や椅子を作ったりしてたんですよね。
もりと:うちは母が書家で、やっぱりどこか影響を受けてるんです。父はサラリーマンですけど何かが壊れたら自分で直してたし、僕も夏休みの工作や自由研究が好きで、いまもその延長な気がしています。ちきさんはちょっと突然変異な感じもしますね。
きくち:そうですね、親戚のなかではちょっと異質かもしれない。
絵本との出会い
もりと:高校や大学では何をしていたんですか?
きくち:中学生になるとぴたりと絵を描かなくなって、サッカーやバスケが好きな、いたって普通の高校生でした。大学進学のタイミングで「あんまり取り柄もないし、困ったな」と思ったんですけど、図面を描いたりするのは楽しいかなって、建築を学ぶことにして。熱い想いはなかったけど、建築家になろうと思っていた時期もありました。ただやっぱりなんとなく違う気がして、先生に相談したら「デザインとか向いてるんじゃないか?」って言われたんです。確かにデザインなら絵を描くこともあるだろうし、向いてるかもしれないと思って。大学卒業後北海道から上京して、デザイン系の専門学校に3年間通いました。
もりと:その時は25歳くらい?
きくち:うん。卒業後は兵庫の印刷会社に就職して、デザインの仕事をしていました。その2年後に会社を辞めて東京に戻り、専門学校時代の友だちとデザイン事務所を始めることになるんですけど全然うまくいかず。というのも、僕は後先考えずに仕事を辞めて東京に戻ったんですけど、友だちは会社を辞めてなかったんです(笑)。それで、しょうがないから僕は掃除のアルバイトを始めて。給料もよかったし、自分の時間も作れるからよかったんですけど、だんだんとお互いの気持ちがすれ違っていって、けんか別れみたいに僕だけスパッと辞めちゃいました。
もりと:その時、絵本の道はまだ見つかってないんですか?
きくち:全然見つかってない。
もりと:見つかってないんだ。絵は?
きくち:描いてなかったですね。掃除のアルバイトを一生懸命やりながら、結構長い間ふらふらしてた。このままプロの掃除屋さんになるのも悪くないなって思ってたんですけど、ある時に骨董市で運命的な出会いがあって……。「骨董市で絵本なんて、珍しいな」って手に取った約百年前の絵本なんですけど。なんだこれはって、電気が走りました。高価で買えなかったから店主にいろいろと教えてもらって、家に帰って作者の名前(Louis-Maurice Boutet de Monvel)を検索しました。約60年~80年前の新しい年代のものが手に届く値段だったので買ったんですが、それも素晴らしかったんです。
もりと:それで、「僕は絵本を作る人になるんだ」って思ったんだ。
きくち:「絵本作家になりたい」っていうのはなかったけど、作りたいって気持ちになった。目標はなかったけど、とにかく描いて描いて描いて。ある程度作品が溜まってきたタイミングで、僕の奥さんが「会社の社長が絵本好きだから、何かアドバイスくれるかも。見せてみる?」って軽い感じで言ってくれたんです。それで、社長さんのご自宅に見せに行ったらすごく気に入ってくれたんですよ。「知り合いが荻窪でお店をやってるから、展示できるか聞きに行こう」って、その日のうちに古書カフェギャラリーに連れて行ってくれた。もちろん社長さんの力が大きいとは思うんだけど、ギャラリーの店主もすごく気に入ってくれて「じゃあ、展示しようよ」って言ってくれたんです。
もりと:すごいですね。奥さんの社長さんもフットワーク軽いし、やりますって答えるちきさんもすごい。「逃しちゃいけないチャンスだ」って感じていたんですか?
きくち:いや、そこまで考えてなかった。ただ暇だったんです(笑)。ほかにすることもないし、とにかくやってみようって感じ。それで、描いてたものを自分で絵本の形にして展示しました。
もりと:反響はどうだった? その絵本は売れたの?
きくち:最初は売る目的で作ってなかったんですよ。でも、ギャラリーの店主に「これ受注販売にしたら?」って言われて、急遽そうすることにしました。すると200冊くらいの予約が入ってしまったんです(笑)。
もりと:ということは、手製本を200冊も!?
きくち:そうなんです。しかも、展示で見せて終わりだと思ってたから、すごくめんどくさい作り方をしてたんですよ。和紙に千枚通しでいっぱい穴を開けて、それを糸でかがって……1冊作るのにとにかく時間がかかる。
もりと:何屋かわからなくなっちゃうね(笑)。全部自分で作ったの?
きくち:奥さんやお義父さんも手伝ってくれました。でもみんな忙しいから、途中からは完全に1人でしたけど……。
もりと:でも、その頑張りが今の結果だよね!
取材日 2019.7.27
文:MORITORATION編集部
後編に続く>>